石破茂氏がポッドキャストで「本来の資本主義にもどす『金利のある世界』必要」と述べています。金利のある世界、これは当たり前なのですが、それを忘れてしまったのが日本であります。

日本銀行HPより

金利とは何か、いろいろな説明方法がありますが、私は「お金の時間的価値」だと考えています。もしも究極的に金利という概念が無くなったら銀行は無くなります。なぜなら銀行の本質的ビジネスとは皆さんが預ける普通預金や定期預金を元手に企業や個人の住宅ローンを貸すことで利ザヤを中抜きすることで成り立っています。例えば皆さんの預金金利が1年預けて0.1%だとします。ところが住宅ローンの金利は年間2%だとします。この差が銀行の儲けであり、金利の概念だと考えてよいのです。非常に原始的な銀行モデルの話で、もちろん今の銀行ビジネスはこれほど単純ではありませんが発想の原点であることには変わりないのです。

では金利はなぜ、上がり下がりするのか、といえば資本主義の下で経済活動をすれば景気の波が押し寄せます。ある時は消費が盛り上がり需要が拡大、作っても作っても生産が追い付かなくなります。この時、金利を引き上げることで消費マインドを冷やします。逆にコロナの時のようにモノが売れなくなれば今皆さんが持っている貯金をもう少し使ってよ、という発想のもと、お金を使わせて景気を盛り上げるわけです。論理的には、です。

これはマネタリストと称する貨幣供給量の調整に基づき景気変動を調整する経済学派の考え方であり、絶対普遍ではありません。あくまでもそれが70年代から主流になっていたということです。その調整をするのが中央銀行で日銀やFRBであります。ところが最近、アルゼンチンの新大統領が中央銀行不要説を公約として唱えているし、たしかトランプ氏も今、FRBなどいらないと言い始めていたはずです。マネタリストに基づく金融政策はあくまでも一経済学派の流れなのです。これが40年以上続いた現在、世界の変調の中で中央銀行懐疑説がもそっと湧き上がってきたとも言えるのでしょう。

国家の経済運営は中央銀行による金利調整と共に政府が主導する経済政策との二頭建てで行うことが多くなります。たとえばコロナの時、金利を下げたのは中央銀行、各種補助金を配ったのは政府でしたね。経済コントロールは究極の一手というのは今のところ存在しません。またミルトン フリードマン氏がマネタリストを主張した70年代と今では地球ベースでの経済環境があまりにも変質化しており、それにもかかわらず何十年も同じ金利の上げ下げで景気を調整できると考えるのはやや無理があるのです。