結果どうなったかといえば秘書を終えた時、「うまいものはもういい」と思うようになったのです。つまり完全飽和状態。それ以降、今日に至るまでたまにはおいしいものを食べるけどメリハリの中で時々それに接すればよいという気持ちに変わったのです。
私はお金も同じだと思っています。散々お金を使っても自分の人生を振り返った時、何をそんなに使ったのだろうと思うはずです。女性なら新しいバッグやアクセサリーが欲しいでしょう。「かわいいー!」という表現だと思いますが、いつまでも「かわいいー」というわけにはいかないのです。そもそもガキから紳士淑女に成長するには知性や品格といったエレガントさが備わる必要があり、一定年齢になれば人間の重みこそその人の価値になります。着る服や身に着けるアクセサリーはその気品から放たれるものなのです。つまりそれが備わっていなければ借り物の衣装でしかないのです。
私がお金を使う時に思うのは「果たしてこのお金を払う価値があるのか?」であります。例えば先日、友人と有名すし店に行きました。お任せコース2時間半。払った金額はお酒代にチップを入れて日本円で一人4万円弱。また行くか、といえば「ない」と思います。なぜかといえばおまかせにするなら店主が見せるドラマが必要なのです。ところが人材不足なのか、大将はカウンターにいる時間より裏にこもってしまい、寿司屋のカウンターに誰もいない時間が長く、客は手持無沙汰になるのです。そして10分に1貫程度の割で握ってもらっても間が抜けて空虚になってしまったのです。
私がお金を使ってよかったと思うのはみんなで楽しい食事ができた時です。あるいは良書に出会ったとき、自分に投資をしたときなどでしょうか?つまりお金を使う以上それが1000円だろうが1万円だろうが、安い高いの問題ではなく、バリューがあるのかが最大のポイントだと思います。時々私が「飛行機はエコノミーで十分。理由は低血圧なので飛行機で酒が一切飲めないし、どうせ寝ずに本を読み続けているだけだから」というのは私の価値観なのです。先日富豪なのに私と全く同じ考えの方に出会い、消費の価値感を改めて感じたところです。
ではお前は最後、死ぬときにそのカネ、どうするのだ、と聞かれたら私は「君のお金は誰のため」の著書と同じ、社会還元しかないと考えています。事業の大半は私の価値観を継承してくれる人にバトンを渡しながらも社会還元の仕組みもそこにはめ込みます。同時に個人のお金もある程度は余るでしょうから今から少しずつそのプランをどう実行すべきか考えているところです。Bottom Line は墓場に札束は持っていけない点です。ならばベストな形でそれを有効活用するのが良いですよね。つまり世の高齢者が相続税対策で血眼になる話をよく聞きますが、私は全く違う観点でアプローチしたいと思います。
ウォーレンバフェット氏は世界で最高の富豪の一人ですが、ハンバーガーを食べ、コークを飲むのが好きなのです。氏の価値観はそこにあるのです。もちろん、毎日それが食事ではないはずです。だけどバフェット氏はハンバーガーを手にする時が一番幸せな食事なのだろうと私は察しています。私も結局はそこを目指すことになるのでしょう。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年5月26日の記事より転載させていただきました。
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