黒坂岳央です。

昨今、あちこちで「育ちの良いと思われる作法」といった記事や主張をよく見かける。正直、この手の主張には昔から違和感しかなかった。

「育ち、というステータスは本来は固定値なのに、なぜ変動値のように扱うのか?」「育ちがいいと思われたい、ということを大事に育てられてきた人ほど考えないのでは?」と。そして「魚をきれいに食べる」といった主張にも「それは育ちの良さを見るポイントとして本当に正しいのか?」といった疑問もあった。

そんな「育ちの良さ理論」に疑問を感じる筆者だが、個人的に「この部分については、どうやっても隠しきれない育ちが出てしまうのでは?」と思う部分がある。多くの場合、後から変えることもなかなか簡単ではない。それは「自己愛」である。

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三つ子の愛は百まで

「幼少期の親からかけられた愛情は、その後一生の人生を左右する」。これはあらゆる研究、データから明らかになっており、今更疑う人はいないだろう。

大人になってからの心理的な問題の多くは、幼少期にかけられた愛情の薄さが理由になっていると感じることは少なくない。小学生の頃、クラスメイトで喧嘩や非行問題を起こす子は、親に問題があると見られるケースばかりだった。そして悲しいことに、そうした問題のほとんどは大人になってから自然に解消されるどころは、大抵は悪化する。三つ子の魂百までという言葉があるが、こと親からの愛情について言えば「三つ子の愛は百まで」となっていると感じる。

他人を信じられない。信頼関係を構築できない。その多くが幼少期の親からの愛情不足である。そこまでいかずとも、承認欲求の奴隷になって、自分をよく見せるために嘘をついたり盛ったりするといった行動につながる。ほとんどの場合において、自己愛の欠如で説明がついてしまう。

自己愛の欠如が原因の問題行動は、大人になってからテクニックや知識だけで簡単に解決することはできない。