「権利」の対義語、反対語は何か、と聞かれれば、「義務」という言葉が出てくるが、それでは「人権」の反対語は何かと聞かれれば、直ぐには飛び出さない。キリスト教の神を信じる人ならば、それは「神権だ」という余り聞きなれない言葉が飛び出すかもしれない。
キリスト教会、特に世界に14億人近くの信者を有するローマ・カトリック教会は過去、「人権」は神の秩序、規律とは相反するものと受け取られてきた面がある。もう少し厳密にいえば、カトリック教会はこの世界の「人権」と対立、時には脅威と受け取ってきた歴史があるからだ。
バチカン教皇庁は8日、新しい人権に関する声明「Dignitas infinita」(無限の尊厳)を発表した。バチカンニュースは同日、「長い歴史、バチカンと人権」という見出しの記事を掲載している。その最初の書き出しで「『Dignitas infinita』は、明白に1948年の国連の『人権の普遍的宣言』を支持している。驚くことかもしれないが、教会は常に人権についてそうではなかった。これは主に、フランス革命(1789年)以降の人権の旗を掲げた運動が、当時の教会にとって脅威と受け取られてきたためだ。ピウス6世(在位1775年~99年)は当時、パリ国民議会が掲げた人権宣言に抗議し、その有名な前提『自由・平等・友愛』に反対していた」と、正直に告白している。
神の愛を説くキリスト教会がパリの人権宣言に反対していたということは不思議に感じるかもしれないが、人間の基本的権利より、神の教理、教えを重視する教会にとって、人権は時には障害となることがあるからだ。教会にとって過去、「神権」は常に「人権」より上位に置かれてきたのだ。
ただし、バチカンの歴史の中には、フランス革命や国連人権宣言の前、パウルス3世(在位1534年~49年)は1537年、「Pastorale officium」という使徒書簡で、アメリカ先住民の奴隷化を禁止し、それを破った者は破門すると警告している。同3世は「先住民は自由や財産の管理ができる理性を持つ存在であり、したがって信仰と救いに値する」と述べている。少数民族の人権、権利を認めていたわけだ。
時代が進むのにつれて、人権に対する教会のスタンスも変わっていった。レオ13世(在位1878年~1903年)は1885年の教令で「新しい、抑制されない自由の教義」を非難したが、1891年に社会教令を起草し、人権思想を受け入れる道を開いたことで知られている。