1. 印紙法への反発

    1765年イギリスによる「印紙法」の制定が、大規模な抵抗運動をおこします。各地域で抵抗運動が組織され、彼らは自らを「自由の息子たち」と呼びました。

    印紙法とは? 新聞などの印刷物や証書類、トランプにまで印紙を貼ることを義務付けた法律。ヨーロッパでは一般的だったが、北米植民地ではそうではなかったので民衆の怒りをかった。

    「直接、または代表をとおして自分たち自身の同意がなければ、いかなる税も課せられてはならないというのが、人民の自由に不可欠の条件である。代表を送っていない本国議会による恣意的な課税は、植民地人が持つイギリス人としての固有の権利を侵害している」

    ととらえ、反発が起きました。

    これを端的に表す「代表なくして課税なし」という言葉は、マグナカルタ以来の、さらには名誉革命の権利章典によって確認された、イギリス人としての固有の権利を端的に示したスローガンです。

    過去に植民地を建設したヴァージニア会社が王ジェームズ1世から授けられた特許状には、「植民地開拓者とその子孫はイギリス本国の国民と同じ自由や権利を享受できる」と強調されていました。

  2. 宣言法、タウンゼント諸法への反発

    「自由の息子たち」によって徴税人は嫌がらせを受けました。また、植民地全体でイギリス製品の不買運動が広がり、イギリスからの輸入量が大きく減少しました。

    そのため、植民地への輸出で利益を得ていたイギリスの商人が印紙法に反対するようになり、1766年に印紙法の撤廃が決まりました。しかし、イギリス本国議会は「宣言法」を制定し、植民地に対する立法権を引き続き主張します。

    1767年、植民地に対する新たな関税が制定(タウンゼンド諸法)されました。これは直接税の印紙税と同じくらい悪税でした。

    法律に違反すれば、船舶およびその積み荷(水夫の私物まで)を没収されかねなかったのです。違反を密告したものには報酬が与えられたため、疑心・不信に加え、偽情報も広がってしまいました。

    このタウンゼンド諸法は、植民地全域から反発を招き、不買運動が活発化します。

    英軍への食糧や宿舎の提供を求められる「宿舎法」の制定も、植民地の人々の反発を大きくしました。

    イギリス国内では、所有者の同意がないと民家を軍の宿舎として使用することはできませんでした。イギリス本国人と植民地人は対等なはずなのに、このような扱いを受け、植民地人は、権利や自由が侵害されたように感じたのです。