1. 独立戦争の展開

    イギリス本国は、18世紀中、最大規模の軍を動員し、ドイツからも傭兵部隊を送り込みました。ドイツ兵は北アメリカでのイギリス軍兵力の3分の1をも占めたそうです。

    アメリカ植民地側は、戦争が始まった当初は、アメリカには職業的な陸軍も海軍も無く、各植民地には地域防衛にあたる民兵が存在するのみでした。

    開戦時、一部を除いてこの民兵のほぼ全てがアメリカ大陸軍に加わりますが、アメリカ大陸軍はにわか作りで、常に兵員や物資が不足していました。

    イギリス軍に従軍したドイツ人傭兵

    1775年6月、組織だった作戦行動をとるため、大陸会議は正規軍を設立しジョージ・ワシントンを総司令官に任命します。

    戦いの前半戦は、北部・中部が舞台でした。

    独立宣言後、イギリス軍の大部隊がニューヨーク市に上陸します。アメリカはニューヨークで敗北した後、戦争終結までニューヨークには英軍が常駐しました。

    ジョージ・ワシントン

    1777年10月のサラトガの戦いでアメリカは勝利し、これにより国際関係は一変します。

    イギリスに対抗しているフランスは、アメリカの軍事的実力を認識します。1778年フランスは、友好通商条約とアメリカの独立を認めた軍事同盟条約をアメリカと締結しました。

    スペインもフランス側にたち、イギリスに宣戦布告します。ただし、スペインは新大陸に有する広大な自国の植民地への影響を恐れ、アメリカとは同盟を結びませんでした。

    オランダは早々とアメリカ独立を認めイギリスと対峙します。

    ロシアは武装中立同盟を提唱し、スウェーデン・プロイセンなどもこれに参加しました。

    このようにイギリスはヨーロッパで孤立し、外交的に厳しい状況におかれました。最終的に植民地側が勝利したのも、フランスの多額の援助と大陸諸国によるイギリス包囲網があったからです。

  2. 独立戦争の終結

    独立戦争の後半は、おもに南部が舞台でした。

    1781年、フランス艦隊の援護もあり、ヨークタウンの戦いでアメリカは大勝利をおさめます。

    1783年パリ条約が調印され、イギリスはアメリカの独立を認め、ミシシッピ川以東の領土を割譲しました。

    アメリカ独立戦争の戦いの様子

  3. アメリカの外交

    戦争終結時のアメリカの外交についてです。

    実は、アメリカ諸邦連合とフランスは、「イギリスと単独で講話しない」と条約で定めていました。

    しかし、フランスは「ジブラルタルの返還まではイギリスと戦う」というスペインとの同盟に拘束されています。フランスとスペインはイギリスに屈辱を与えたい執念がありました。しかしブルボン朝の君主制である両者は、強力で独立したアメリカ共和国を実際には望んでいませんでした。特に北アメリカ大陸に領土を持つスペインはアメリカを警戒していました。

    このような関係の中、アメリカの交渉担当人であるベンジャミン・フランクリン、ジョン・アダムズ、ジョン・ジェイは、フランスと打ち合わせすべきだという連合会議の訓令を無視して、イギリスと単独で交渉を開始しました。

    フランクリンなどのアメリカの交渉担当人たちは、米仏同盟の効力を弱める可能性をほのめかしながら、イギリスに対し、諸邦連合の独立を承認し、フランスやスペインが受け入れることができる国境線よりも広い範囲をアメリカに認めるように説得しました。

    また彼らは米英間のこの予備条約をフランスに提示し、米仏同盟は両国間の利害の違いを敵側に対して隠しておかなければならないと示唆することで、フランスにこれを受け入れさせました。

    アメリカがイギリスと講和を結ぶ見通しがでてきたため、スペインはジブラルタル返還の要求を放棄し、フロリダのみのイギリスからの返還を受け入れざるを得なくなったのです。

    このように、アメリカはヨーロッパ列強相互の警戒心を利用することで、独立だけでなく、全ヨーロッパにも衝撃を与えた譲歩を勝ち取ったのです。

    これはアメリカの外交の歴史で最大の成果でした。

    ベンジャミン・フランクリン