以下は私が訳してみたものだ。このほうがオバマの真意に近いと思う。
この頃の日本は、政道の方向性を出せないまますっかり硬直化していて、三年足らずの間に首相が三回も交代していた。自分が東京で会談したときの首相はその四人目で、まさに日本の政治的混迷の表れであった。私が大統領に就任したときの日本の首相は、すでに彼にバトンを渡して失脚していた。ハトヤマは、言われているよりは好人物だったが、私と会談してより七か月後には彼もまた失脚という有様だった。
ここで一度、2009年当時の日米関係について、手短に振り返ってみよう。
あの年の大事件といえば、なんといってもオバマが、1月よりホワイトハウスの主となったことだろうが、日本国内では、同年8月に政権が自民党から民主党に移ったことが、やはり最大の事件だろう。
オバマはこの半年前に、日本からの来客・アソー首相をホワイトハウスに迎え入れてはいるが、アソーの政権ひいてはジミン党の天下がもう長くないと見越してだろう、共同記者会見は行われなかった。
そしてホワイトハウスが予見したように、麻生政権は総選挙で大敗し、アメリカとの付き合いが長い自民党は下野を余儀なくされた。
取って代わった民主党は、旧・野党の連合的な組織だ。夏の総選挙で議席の四分の三を占めるという、圧倒的支持を国民から受けたとはいえ、公約も人材もあまり現実的とはいえないものが混じっていた。
オバマにすれば、日米同盟それに東アジア秩序の頼もしい fellow(同僚)とは呼びがたい、そんな相手ではあった。
同2009年11月、オバマは一泊二日の日程で、東京にやって来た。そして日本の新首相、すなわち彼の新しいfellow(同僚)であるハトヤマと会談し、晩餐を共にした。
そこまではよかったのだが、翌日ハトヤマは、オバマが未だ日本にいるのに、シンガポールでのAPEC会合を優先して日本を後にするという、常識はずれな行動をとって、日本国内外から失笑を買ってしまった。
彼の失態は続いた。もともとハトヤマは、オキナワ島の在日米軍飛行場を、沖縄県外に移す案を首相就任より前から公言していた。中国の軍事力拡張に対抗するためにはアメリカにとってオキナワは極めて重要な軍事拠点である。それを揶揄するような人物が、日本の首相となったことに、オバマ政権は神経質になっていた。
首相就任後も、ハトヤマは飛行場移転問題について失言を繰り返した。オバマを日本に迎えた、この2009年11月以後にも、だ。
翌2010年4月に首都ワシントンでサミットが開かれた。日本より参加したハトヤマは、夕食会でオバマと非公式会談のとき「Can you follow through?」(ちゃんとやってくれ!)と叱責されたといわれている。
オバマとハトヤマが(それぞれ首脳として)直接会って話をしたのは、公式記録を信じるならばこのときが二回目で、そして最後のものだ。以下は当時の「日本経済新聞」(同年4月23日付)から。
米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)の移設を巡る日米の対立は修復不能な域に入った。米オバマ政権はたびたび前言を翻す鳩山由紀夫首相の理解不能な発言にさじを投げており、もはや交渉相手とは見ていない。表立っては言わないが、日本の政権交代を前提にした物言いをする人もいる。
そしてサミットより一か月半後、鳩山は辞意を表明。首相退陣の記者会見も、本人の意思で行われなかった。
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