殺人においてネックになるのが死体の処理だ。死体の早期発見は犯人の特定において重要なファクターとなるからだ。死体はしゃべらないが腐敗が進む。腐敗臭が原因で殺人事件が発覚するケースも多々ある。では、死体を腐敗させないためには? 専門的な防腐処理となると個人で行うには難しいが、最も簡単な方法は冷凍保存だろう。とはいえ、人間一人を丸ごと冷凍保存することは用意ではない。それが冷蔵庫さえ普及していなかった時代となれば、難易度は跳ね上がる。そうした状況の中、いまも不可解な未解決事件として記憶されているのが50年代のイギリスで起こった「ディープフリーズ殺人」だ。
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※ こちらの記事は2022年3月20日の記事を再掲しています。
まだ冷蔵庫や冷凍庫がそれほど普及していなかった時代、人体を凍らせたとしか考えらえない遺体が発見されている。1957年にイギリスで起こった未解決事件「アン・ノブレット殺人事件」だ――。
死後1カ月経っていても“新鮮”な遺体
発見された遺体が明らかに一度冷凍された痕跡を残しているという、なんとも奇妙な殺人事件がかつてイギリスで起こっている。遺体を“芯まで”冷凍したことから「ディープフリーズ殺人(The Deep Freeze Murder)」とも呼ばれているのが、これまで誰一人として容疑者が浮上していない未解決事件「アン・ノブレット殺人事件」である。
1957年12月30日の月曜日、イングランド・ハートフォードシャーにあるワトフォード工科大学の学生であったアン・ノブレット(当時17歳)は、ハートフォードシャーのハーペンデンにあるルルドホールで、友だちと一緒にダンスの集まりに参加していた。
ダンスの後、アンは友だちに「では金曜日に会いましょう」と別れを告げ、路線バスに乗って両親および兄弟と共に暮らす自宅へと帰路についた。
アンを最後に目撃したのは近くでスクーターを運転していたシャーリー・エドワーズで、夕方6時ごろに自宅最寄りのバス停で降りたアンの姿に気付いていた。
ちなみにアンは、この地元の大学に通う前の4年間、スイスにあるフィニッシングスクール(いわゆる“花嫁学校”)で寄宿舎生活を送っていた。アンにとって地元での暮らしと人間関係は、ある意味で1から築き直したものだったが、うまく順応できていたと両親をはじめとする周囲は見ていた。
このバス停から自宅までは400メートルほどであったが、不思議なことにバスを降りたアンがその日に自宅に戻ることはなかったのだ。
帰宅しない娘を心配した両親は、知り合いの家に続けざまに電話をしたが、誰一人としてアンの行方を知る者はいなかった。シャーリーがバスを降りるアンを見て以降、アンの姿を見た者は誰もいないようであった。
夜9時、両親は遂に警察へ連絡を入れ、ハートフォードシャー州の警官400人とボランティア300人が周辺一帯を捜索した。警察犬も動員されて大掛かりな捜索が行われたものの、アンの行方を示す手がかりは何ひとつつかめなかった。
翌日以降も捜索は1000人体制で続けられ、泥で汚れた白いハンカチと口紅が見つかったが、両親はそれがアンのものであるかどうかについて明言することはできなかった。バス停から自宅まで400メートルの道のりを移動するアンの身にいったい何が起こったのか、まったく雲をつかむような失踪事件であった。
アンが行方不明になってからほぼ1カ月後の1958年1月28日、非番だったヒュー・シモンズというイギリス空軍の兵士が兄弟とともにホイットウェルのヤングズ・ウッドで飼い犬を散歩させていたところ、草が茂る地面に仰向けに寝かされた若い女性の遺体を発見した。そしてこの遺体こそ、ほかならぬアン・ノブレットであったのだ。遺体が発見された場所は、アンが最後に目撃されたバス停から約8キロ(5マイル)も離れた場所であった。