東パキスタン=バングラデシュの独立にあたっては、最終的にはインドの軍事介入が、帰趨を決した。本来は、イスラム教徒が多数派を占める地域であったため、それまで「東パキスタン」は、パキスタンの一部とされていた。しかし1971年の独立戦争の経緯から、バングラデシュにとって、ヒンドゥー教徒が多数派集団であるインドの存在が決定的に重要となった。

ただしムジブル・ラフマン氏は、1975年に暗殺される。外国にいたシェイク・ハシナ氏は、その後しばらくは亡命生活を余儀なくされた。BNPの創設者であるジアウル・ラフマン氏も、大統領の任期中の1981年に暗殺されている。

なおその後にBNP党首となったベグム・カレダ・ジア氏は、ジアウル・ラフマン氏の未亡人である。BNPを率いて、二度首相に就任したが、シェイク・ハシナ氏が率いるアワミ連盟が政権を握ってからは、収賄容疑で逮捕・収監されていた。ただし今回の政変で、、モハンマド・シャハブッディン大統領から恩赦を受けたようだ。

伝統的には、アワミ連盟がよりインドに近く、BNPの方がパキスタンに近いと理解されている。だが本質的には、独立以来の政治史からわかるように、凄惨な独立戦争を、軍事的に乗り切った歴史的経緯から起因する確執が、いまだに深刻だ。軍の権威が強い、ということが最も重要な点である。そこに長年の二大政党の確執がかかわり、さらにその背後に南アジアにおけるインドとパキスタンの確執が関わる。

(余談だが、私はバングラデシュを何度も訪問しているが、政府招聘の仕事で行って空港で軍服を着た者に迎えに来てもらったりすると、手続きのための長蛇の列などを全て飛ばして外に出て、武装した車輛でホテルまで送迎してもらったりする。)

今回の政変の引き金になったのは、独立戦争時の功労者の家族(子孫)に公務員雇用の特別枠を与え続ける措置についての争いであった。これは独立戦争の歴史が、現在の政治権力構造にも深くつながっているバングラデシュの国家構造に特有の深刻さを持つ問題であったので、大きな争いとなった。50年以上前の独立戦争の歴史が、画期的な経済成長の恩恵が国民に行き届いているとは言えない社会構造との間に、大きな矛盾をきたしていた、とも言えるだろう。