ジェフユナイテッド市原ユースから駒澤大学に進み、“大学ナンバー1ボランチ”の肩書を引っ提げ、2005年に鹿島入りした中後氏。2006シーズンに、当時のパウロ・アウトゥオリ監督によってレギュラーの座に定着したものの、翌2007シーズンには、当初オズワルド・オリヴェイラ監督の下で先発起用されていたが、シーズン途中にMF小笠原満男がセリエAメッシーナへのレンタル移籍から復帰したことで控えに回ることが多くなり、2009シーズンにはジェフユナイテッド千葉に移籍。その後も移籍を繰り返し、セレッソ大阪、東京ヴェルディでプレーし、2017シーズンをもって引退すると、そのまま東京Vの下部組織のコーチとして、指導者の道に進んだ。
東京Vジュニアユースコーチを2023年まで務め、今2024シーズンから、トップチームのコーチとして鹿島に復帰した。ちなみに同氏がトップチームの指導に関わるのは、今季が初めてだ。このスピード出世ぶりには、サポーター以上に中後氏自身が一番驚いているのではないだろうか。
さらに脇を固めるのは、ジーコ氏の引退に伴い2001シーズンから背番号10を引き継いだ元日本代表MFの本山氏と、2001年ワールドユースアルゼンチン大会(現FIFA U-20ワールドカップ)では日本代表の主将を務めたDFの羽田氏、さらにFDに就任した中田氏も含め、まさに“チーム鹿島”で首脳陣を固めた形だ。
最も好成績を収めた石井監督との共通点
中後新監督はじめ、ベンチには常勝軍団だった頃のチームを知るメンバーが揃った。あの頃の鹿島はとにかくしぶとく勝負にこだわり、時にはポゼッションを捨て、1点差で勝っていれば時間潰しのプレーも厭わないスタイルは、Jリーグファンの間で“鹿島る”というスラングを生み出したほどだ。勝ち方を熟知する指導者の下で結束力を取り戻し、かつての勝負強さを取り戻す可能性は十分あるだろう。