ランボルギーニとの出会いは運命的でした
創立60周年を記念するかのように、ランボルギーニの新たなフラッグシップであり初のHPEV(=ハイパフォーマンスEV)となるレヴエルトが日本で披露された。新たな「アート作品」ともいうべきV12スーパースポーツのデザインを手がけたミィティア・ボルカート氏(チェントロスティーレ=デザインセンターのボス)に話をうかがった。
ミッティア氏は東ドイツで生まれ、子供の頃からデザイナーになる夢を抱いていたという。西ドイツの大学へ進み、チャンスが訪れる。教師陣に自動車業界の現役デザイナーがたくさんおり、その縁でポルシェのインターンシップに1997年に参加。大学卒業の頃、ポルシェのチーフデザイナーから「チームに入ってほしい」と声がかかりデザイナーの道を歩み始めた。
「気づいたら17年間もポルシェにいました。最後の5年はワルター・デ・シルバ氏(2015年までVWグループ全体のデザイン責任者)の下で勉強していました」という。そこからランボルギーニのデザイナーになるには、運命的な出会いがあった。
「2015年の夏にポルシェの審査員として名車が集まるLAペブルビーチのコンテストに出向きました。現地でガソリンスタンドに入った際に、隣にランボルギーニが2台たまたまおり、「素敵なクルマだなあ」と眺めていたのです。ランボルギーニを改めて意識した瞬間でした。偶然にもその3カ月後にランボルギーニからオファーがあったのです。妻に確認のうえ即座にOKと伝え、すぐイタリアに引っ越しました。もともとランボルギーニの造形が大好きで、各地のショーを回った際は、必ずランボルギーニのブースに立ち寄っていました。またステファン・ヴィンケルマン氏(現CEO)の未来ビジョンにも共感を覚えていました。個人的には初代クンタック、そして2007年に発表されたレヴェントンにとくに共感を覚えます」とミッティア氏。
誰もが驚く革新性が必要。時間を超えて輝く永続性も大切
デザイナーとしてミッティア氏が大事にしていることを聞いてみた。
「オーナー、そしてブランドにいい影響をもたらすことです。つねにインパクトがあり印象に残るデザインをしたいと考えています。ポルシェ時代のデザインでは、たとえばマカンはタイムレスな造形だと自分でも誇りに思っています。ランボルギーニに移ってからは、ランボルギーニのデザインDNAを尊重するように心がけています。デザイナーとして、きちんとブランドを体現しなければならないからです。ランボルギーニは革新的な存在です。スーパースポーツ界の代表として、いつの時代もすべての人に「WOW」という驚きを与えることのできるブランドであることが大切。私が手がけるスタイリングは、どんな場面でもインパクトをもたらし、ランボルギーニのDNAを継承しながら、それまでとは違う新しいレベルに引き上げたいと考えています」と語ってくれた。
最新デザインの特徴を聞くと「ランボルギーニに入って7年ほどがたち、つねに責任感を持って複数のプロジェクトを並行して動かしてきました。各車とも、その場しのぎのインパクトを与えるのではなく、あたかもよいリズムを持った音楽のように。次の時代をデザインを通じて作っていくことを意識しています。ときにはウラカンSTOのように攻撃的、また現在に蘇ったクンタッチLPI800-4のようにエレガントにと手法はさまざまですが、想像を超えて後世に残る永続性を持ったデザインでランボルギーニのDNAを継承していきたいと思います」。