『「ラフ・シモンズ」ブランドを終了した54歳ラフ・シモンズをめぐる様々なこと』
(画像=ラフ・シモンズ Christian Dior : Runway - Paris Fashion Week - Haute Couture Fall/Winter 2015/2016 Photo: Victor Boyko、『SEVENTIE TWO』より引用)

ラフ・シモンズが自身のインスタグラムで「ラフ・シモンズ(RAF SIMONS)」ブランドを終了すると発表した。今年の10月にロンドンで発表した2023年春夏コレクションが最後になった。一部のファッション関係者やファッション・フリークにとっては驚きのニュースらしく、かなり大々的に報じられた。

ラフは1968年1月12日ベルギー生まれの54歳。「アントワープシックス」(1980年代に注目されたベルギーの若手デザイナーのアン・ドゥムルメステール、ダーク・ヴァン・セーヌ、ダーク・ビッケンバーグ、ドリス・ヴァン・ノッテン、マリナ・イー、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンクの6人)のウォルター・ヴァン・ベイレンドンクの下で学びインテリアデザイナーとしてキャリアをスタート。1995年に自身の名を冠したメンズブランドを設立。飛躍のきっかけになったのはルッフォ社の若手デザイナー起用プロジェクト「ルッフォリサーチ」のデザインをヴェロニク・ブランキーノとともに2000年秋冬で手掛けたことだ。その後はトントン拍子に出世した。洋服のデザインを本格的に勉強したことがないのが「強味」でいわゆる構築的なミニマリズムの旗手である。

2005年から7年間「ジル・サンダー(Jil Sander)」のクリエイティブ・ディレクターを務めた。2008年から同ブランドのオーナーは日本のオンワードホールディングスになった。「ジルサンダーネイビー(Jil Sander Navy)」(2019年春夏で終了)も手掛けている。クリエイティブ・ディレクターを務めながら、営業的には儲からない自身のブランド「ラフ・シモンズ」を細々と続けるのがラフの生き方だった。

2012〜15年はなんとLVMHの本丸である「ディオール(DIOR)」ウィメンズのアーティスティック・ディレクターを務めた。スキャンダルで解雇されたジョン・ガリアーノの後任だった。なお、メンズウェアのデザイナーはクリス・ヴァン・アッシュ。2016年から18年2月までは米国ブランドの「カルバン・クライン(Calvin Klein)」のチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任していた。2020年には「プラダ(PRADA)」の共同クリエイティブ・ディレクターに就任。「共同」のもう一人は、ミウッチャ・プラダである。

言ってみれば包丁一本サラシに巻いて名料亭を渡り歩く料理人みたいな感じでラグジュアリー・ブランドを転々としている。ラフが包丁代わりにしているのは「ミニマリズム」と「時代感覚」だろう。前述したアントワープ・シックスにはラフと同等の実力があるデザイナーはいたと思うが、いずれも自分のブランドのビジネスをなんとかやっている程度で、ラグジュアリーブランドから「クリエイティブ・ディレクターになってくれ」と声がかかるというようなことはまずない。彼等のブランドのデザインがあまりにもオリジナルすぎたからである。前述のデザイナーで自分のブランドで成功したのは、ドリス・ヴァン・ノッテン(スペインのプーチ・グループ傘下)ぐらいではないだろうか。アン・ドゥムルメステール(1959年12月29日生まれ)は2013年に53歳で引退したがブランドは残っている極めて珍しいケースだ。ラフが師事したウォルター・ヴァン・ベイレンドンクは教育者になってアントワープ王立芸術アカデミーでファッションを教えている。他の3人が何をしているかは寡聞にして知らない。ラフとともに「ルッフォリサーチ」によって見い出されたブランキーノは一度引退したが復帰してまた引退してしまった。

そうした中でのラフの「ラフ・シモンズ」終了。若い若いと思っていたラフもすでに54歳。そうした「二重生活」はそろそろ限界だったのかもしれない。

1990年代以降デザイナーは創業者の名前を冠したブランドのコンセプトを現代に蘇らせるために生まれたクリエイティブ・ディレクターという不思議な商売をするようになった。言ってみれば「傭兵」である。創業者デザイナーのココ・シャネルが死んだ後低迷していた「シャネル(CHANEL)」をトップラグジュアリーにしたカール・ラガーフェルドがその嚆矢だが、その後もグッチ&トム・フォード、ルイ・ヴィトン&マーク・ジェイコブス、ルイ・ヴィトン&ニコラ・ジェスキエール、グッチ&アレッサンドロ・ミケーレ、サンローラン&アンソニー・ヴァカレロなどの例がある。さらに自分のブランドは手掛けないのが当たり前になりつつある。ギャラが高額で、全2回のメインコレクションに加えてプレフォール、プレスプリングなど派生コレクションが増えて超多忙のためだ。さらにオートクチュールがあるブランドはこれもデザインしなければいけない。とても、自分のコレクションなんてやっていられないという転倒した論理がまかり通っているようだ。

自分のブランドをやめて、とりあえず「プラダ」の共同クリエイティブ・ディレクターに専念するラフは今後どうなるのだろうか。ミウッチャ・プラダ(1949年5月10日生まれ73歳)次第ということなのだろうが、なんとなく早晩「共同」という看板はハズレそうな気がする。そうでなければラフが自分の「ラフ・シモンズ」コレクションを止めるなんて大決断をするはずがないと思うが。しかしラフのファンからは大ブーイングを浴びそうだが、10月の「ラフ・シモンズ」のロンドン・コレクションを改めてYouTubeで見てみたが、ミニマリズムの極北みたいなあまりにも味気ないコレクションで、自分のブランドを終了するというラフの決断が私にはなんとなく分かった。

文・三浦彰/提供元・SEVENTIE TWO

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